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2005年06月22日

こんな営業マンがやって来たぞ!

 仕事が終わり事務所を出ると、そこには一風変わった営業マンがいました。本日博多は気温32℃を超えたというのに、ちょいと暑苦しい格好が気になりました。…世の中はクールビズが流行りというのに〜。
そんな彼の名はジェット。ゼロワンMAXの山笠“ジェット”信介選手です。ボクが思うに彼は間違いなくいい人でしょう。飲みにいきましょうー。

  


Posted by アーバン at 01:12Comments(2)

2005年06月16日

ハッスル九州上陸。

 PRIDEレフリー野口氏からはハッスルのポスターも届いていた。そういえば昔、興行ポスターをよく電柱なんかに貼ったり、剥がしたりしたなぁ〜。
という訳で、ハッスルが九州上陸するそうです。正直『インリン・オブ・ジョイトイ』は生で観てみたいっちゃ。


  


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2005年06月14日

いざ、挑戦!

 PRIDEレフリーの野口氏から何故かこんな逸品が届く。後輩のアングロサクソン大場のバトラーツ入門テスト時の写真だ。入門の写真といえばボクも大学の就職課の方に頼んで、撮ってもらった覚えがある。7年も前の話だ。ちなみにこの写真は何かの役に立つのだろうか?


  


Posted by アーバン at 19:15Comments(4)

2005年06月13日

トーラのふんどし、ヒグマのぱっち〜♪

 学生時代の後輩タケちゃんが結婚するということで大阪に行って参りました。なんちゅうても、そんな大切な日にこの博多のゴン太坊主を呼んでくれたのがほんまに嬉しかった。ありがとう、そしておめでとう、お幸せに!

さてその帰り道、ほんとは時間がなかったのですが前から行きたかったところへ初めて行って来ました。それは『ジャンジャン横町』!! そうあの名作じゃりん子チエの舞台です(といっても漫画と実際の町並みとは全く違う)。でも、そんなことよりもこの街の色、臭い、音、そして人のいい加減さと生活感がたまらんのです。ソース2度づけ禁止の串カツ屋や立ち飲みのホルモン焼き屋、将棋センターやパチンコ屋など知らないくせに懐かしさを感じるエリアですね。まだ昼前なのにおっさん達が一杯やってたり、とある将棋に腕を組みながらおっさん達が群がっていたり、怪しいおっさんが路上で怪しい雑誌を売っていたり、おっさん率が99%といっても過言ではないくらいのインパクトです。ほんまに街それぞれにある文化っておもしろいですね〜。やけん地理はやめられん。

ちなみにここからさらに南に突き進むと日本有数のドヤ街釜ヶ崎地区があり、大都会のド真裏側を目の当たりにできます。なかなかの衝撃でした。

  


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2005年06月10日

沖縄にはどうして7

 フェリーの甲板は4月上旬というのに日焼けできるほどのご陽気。人も少ないんで裸になって焼いてました。さて、いよいよ沖縄本島も近づいて参りました。上陸する港は本島北部「本部(もとぶ)港」。終点の那覇港のほうが距離的には近いのですが、港でのコンテナの積み降ろしに30分を要し那覇港に着くのが2時間半後になることと、運賃も5000円くらい違ったと思います。だから本部で降りて車で行く方が、安いし早いんすね。車は名護より沖縄自動車道に乗り、当時の事務所西原町に向かいます。いよいよ新生活が始まるのかと思うと胸がドキドキしてきますな。浦添の住宅街をぬけ、西原入口の交差点に差し掛かります。うんうん、この景色、この景色!。事務所近くの坂田交差点にはこの前行ったマクドがありますよ〜。坂田小こえるをもう目の前。「どんなネタをしようか?」「彼らは笑ってくれんるか?」「いや、社会人やけんピシャッと決めんといけんやろ?」 事務所前の駐車場に車を止め、事務所のドアを開けます。結局かなりの元気な声とスマイルで「お疲れさまです!お待たせしました!」。顔をあげてみると、中元「オゥ。」、ツカ(3話登場)「久しぶりやな。」、島袋(姉貴分)「あぃ、来たさ。」 …なんてあっさりしとるんや。ネタなんてやらんで良かったわ。

のちのち話を聞いてみると、ちょうどその頃「Cafe100」が大ブレークし毎日朝から晩まで書店やコンビニに追加納品をしていたそうで、疲れきっていたことに加え、途中寄り道ばかりして到着の遅いボクにちょっとイライラしていたそうです。
 
その場をごまかすかの如く「あ、あのぉ〜今日たまたま沖縄に新日本プロレスが来るんですけど、行きませんか?」 3人は顔を見合わせ「あ〜、どうする?」 なかば強引に「今まで見たことないんですよね? じゃ観たら感動しますよ。行きましょう、行きましょう。さぁさぁ。」 こうして疲れきっていたであろう彼らに自分の得意分野を強要もてなしすることで、記念すべき沖縄初日は幕を開けました。もちろん次の日からはライター業ではなく、日中は書店・コンビニへの追加納品部隊として島中を走り回り、事務所へ帰るとデジタルの世界に慣れるために「キーボード早撃ち名人」の日々が続くのでした。


さて、本当にちょっとした勇気とタイミングで誰かに出会い、また出会い、いつのまにやらこうして一般社会人として生きちょります。まだまだ世の中には自分が会わんといけん人も、きっとたくさん隠れておるでしょうな。うん、出会い最高! ちなみに愛車サンバーは沖縄の潮風と灼熱地獄の影響で1年後廃車になりましたとさ(涙)。

今からほんの3年前のお話でした。おしまい。



こんな感じの旅をおすすめします。  


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2005年06月07日

沖縄へはどうして6

 熊本を出ていろいろよそ見をしながら、人生初の鹿児島にやって来ました。残念ながら当日は雨で、桜島は見えんかったです。そして天文館の駐車場に車を停め、うまいと聞いてた「くろいわラーメン」に行きました。しかーし! 脂派のボクにとっては少々というか、かなりの薄味で悔しかったことを思い出します。南国の味付けは濃いぃと信じとったのに…。その後市内をすこしグルグルし(大好きな路面電車と並走など)、いざ鹿児島新港へ。

チケット売り場に着くと予想通り利用客は数える程度、そして! 驚愕の事実フェリー代7万円! 70000円! 良い子の皆さん車を沖縄へ持ち込むのはやめましょう。 噂は予々知ってはいましたが所持金がガクッと減り、心細くなっていると、またもや驚きが。なんとボクの軽ワゴンのまわりには無数の自衛隊装甲車があるのです。どうやら自衛隊が沖縄の駐屯地に向かうようだったのですが、沖縄新生活に向かう緊張とこのありえない状況に混乱したボクは、これはなんだかのミスでペルシャ湾行きの船に乗ってしまったのではとアホみたいな不安に襲われました。当時はアフガニスタン侵攻の真っ最中。本当に怖かった。出発した船は途中、屋久島、徳之島、奄美大島などを経由して、お昼前に着いたのが与論島。いやぁ〜参りましたな〜。あまりの海の美しさに、いよいよ来たで〜って感じになりました。

ちなみにボクが沖縄に着く当日に新日本プロレス沖縄大会があり、なぜか船上から先輩の稔さんと、サムライTVの中村さんと連絡していたことを今思い出しました。

さぁいよいよ上陸ですぞ。つづく。

  


Posted by アーバン at 20:41Comments(3)

2005年06月06日

沖縄へはどうして5

 山口を午後3時に出発したボクは、国道2号線でいざ九州へ。愛車は中古で走行距離も多く、古い型だったので高速道路は避けて下道でじっくり向かったのでした。たいへんと思われるでしょうが、はっきり言ってこの旅は趣味でした。関門トンネルをくぐると、そこは九州。国道は3号線と変わり、まず休憩地博多に向けてGO。博多にはバトラーツ時代の先輩でリングスタッフのビル山口氏がいるのです。かつてバトラーツ博多大会のときに教えてもらった自宅を思い出し、けっこうあっさり山口さんと再会を果たしました。
山「これからどこ行くと?」 ア「沖縄ですが。」 山「沖縄? そういえば結局バトラーツのとき、沖縄行かんかったっちゃんねー。」 山口さんはリングスタッフの仕事でほとんど休みがなく、沖縄社員旅行がたまたま休日と重なり躊躇なく休みを選んだのです。そんな懐かし話をしながら福岡に2、3時間滞在したあと、宿泊地熊本へ向かいました。山「じゃ〜、気〜つけてね〜」相変わらずのんびり話す人です。
途中トラック野郎にあおられながらも熊本へは夜中の1時頃に着きました。泊まるところは、おなじみ健康ランド! ゆっくり風呂につかり安眠室でガッチリ寝ました。慣れたもんです。やっぱり落ち着きますね〜、しかも確かサービスデーで1000円くらいでしたな。ついとる!

そして翌朝10時に熊本を出て鹿児島を目指します。熊本→鹿児島間は初めての景色ばかりで、ぶらり途中下車の誘惑に負けそうになりましたが、鹿児島港の18時出発と未食の鹿児島ラーメンのため先を急ぐのでした。つづく。


それから2年後、作ることになる鹿児島老舗100。  


Posted by アーバン at 20:18Comments(9)

2005年06月03日

阿知須名物しょうゆ玉。

 故郷阿知須から名物「しょうゆ玉」が届く。そういえば小学生の頃、マラソン大会のあとは何故か参加賞でこれを3つづつ貰ってたなぁ〜。今思えば、先生グッドチョイス! 「しょうゆ玉」と「萩・井上のしそ入りわかめ」は山口のB級必須アイテムです。

  


Posted by アーバン at 18:38Comments(2)

2005年06月02日

沖縄へはどうして4

 ラーメンとコーヒーの食べ過ぎで、コレステロール満タンのボディとなった沖縄研修が無事終了しました。最終日、中元さんがこう言いました。「それじゃ4月からは宜しく頼むわ。でも条件があって、残り4ヶ月くらいやけどなにか別の仕事を経験して来て欲しい」。本当はすぐにでも行きたかったのですが、条件だから仕方がないと割り切り、逆にネタになるようなバイト生活をして笑わせちゃるぞ!と心に決めました。
沖縄から帰ると、越谷の街は師走ということもありなんだか慌ただしかったです。本当に同じ日本なの?ってくらい気温が違いますね。そして年内いっぱいでバトラーツを退社し、年明けに古里山口へと一時帰郷しました。
山口に帰るとさっそくバイト探しです。何にしようかと、新聞の折込チラシをチェック(田舎なので求人誌はない)。まずは近くのモールにあるゲーセンからアタックし、玉砕。次に見つけたのがホテルの夜間フロント業務(ラブじゃない)、ちょっと認知症かと思われる高齢の人事担当に「あごのヒゲはそって下さいませ」と言われながらも気に入られあっさり採用されました。
そして自分を追い込むため、ネタにするため、昼間のパチンコ店員を開始しました。毎日ではなかったけれど夜9時から朝の8時までがホテルフロント、朝10時から夕方5時までパチンコ屋という、修行のような3ヶ月を過ごしました。母さんは「あんたは高校時代から部活やらなんやらで、うちにおったためしがないっちゃね。せっかく帰って来たと思うたら、毎日おらんじゃろ〜。たまにゃ休み〜や〜。」とよく言ってました。すんません。
そして3ヶ月間貯めに貯めたお金で車を買い(青のスバルサンバー!かなりイカしてた。)、沖縄への家財道具を積み込み4月の頭に山口を後にしました。鹿児島からのフェリーで沖縄上陸を狙うのです。つづく。



あんまりフェリーで沖縄へ向かう人はいない。  


Posted by アーバン at 21:30Comments(4)

2005年05月31日

沖縄へはどうして③

 バトラーツの石川社長に休みをいただき、沖縄へとやって来ました。よく考えたら次の就職のために休みがもらえるなんて、普通の業界ありえんじゃろ! 那覇空港へ着くとスタッフのツカさんが待かまえていて、そのまま事務所へ行くのかなと思っていたら、「1件取材があるんやけど、ついて来てもらえる?」とおっしゃるわけ。「!?」沖縄にやってきた瞬間に取材の同行とは、驚きました。取材は空港内のレストランロイヤルのチョコレートパフェ。あとあと聞くと「わざわざ空港に行くのに、ついでに取材もやってしまわないと時間がもったいない」とのこと。さすが、チャイルドフッド魂! その取材中に「彼は研修で同行してまして、元プロレスラーなんですよ〜。」と勝手に紹介されて、動揺したのを覚えています。こんな風貌で大荷物持った研修生はおらんよ。

取材が終わり事務所に向かう車内にて「事務所はほんまに狭いからびっくりするで。」と言われ、事前に遠藤さんにも「いい味だしてるよ〜。」と教えられていたのでよっぽどの会社なんやろうなと思い、逆に楽しみでした。いざ着いてみると、あれ!? ボクからしてみればかなりいいんです。過ごしやすそうなんです(わずか10坪ほどのスペースで、床が若干傾いていたんですけど…)。でもそれは何故かと申しますと、ボクはプロレスの練習生時代プレハブ建ての道場で約1年くらい生活しており、真冬の氷点下+真夏の灼熱地獄を経験していたため、少々のことくらいどおってこたぁなかったのです。これはもう自慢です。フフフ…。

そんな事務所にて、まず、というか毎日行なっていた仕事とは雑用でも電話でもなく「早打ち名人」という強敵をやっつけること。 いわゆるパソコンのキーボードに慣れるためのゲームで、アナログ人のボクは小指と薬指がピクリとも動かんので苦労しました。あと、ちょうどその頃チャイルドフッドはラーメン屋取材とカフェ取材をしており、メニュー撮影後の「どうぞ、食べてって。」という店長のはからいに対応すべく飲食部隊として取材にはほとんど同行していました。今いいなぁ〜と思った方、なめちゃいかんですよ。一日ラーメン屋5、6軒×1週間でもしてみんさい。毛穴から麺がでますよ! ちなみに5日目くらいに初めて取材デビューしたラーメン屋は、次に沖縄に来たときには潰れておりました…。くぅー。
まぁそんな感じで、10日間はあっちゅう間に終ったのです。つづく。


ちなみにこれは沖縄のお墓「門中(もんちゅう)墓」と言います。山手のいたるところに乱立する墓を見て、沖縄はかっこいい町並が多いなぁと感心してました。  


Posted by アーバン at 21:17Comments(4)

2005年05月30日

沖縄へはどうして②

 「おい!ケン〜、君はこれから先どんな仕事をやりたいの?」と遠藤さんが聞いてきました。将来の相談とか昔からどうも苦手なんですが、引退してからはすこしスッキリしていたのでつつみ隠さず、でも照れながら「観光雑誌とかの仕事してみたいですね。」すると、しばし考えられ「ちょっと来て。」となぜかコンビニに誘われました。「これ。」とおもむろにるるぶかまっぷるか観光雑誌のページをめくり「この川下りの写真、僕が撮ったんだけど、君できる?」「え!? (できる?たって、カメラなんてやったことないし)で、できませんが。」いつもいきなりなのですこの方。「そう。じゃぁどこかの取材に同行してみる?」「ど、どなたかライターがいらっしゃるんですか?」「う〜ん、、沖縄にね〜君みたいな土臭い人間が集まったライター集団がいるんだよね。」「お、お、沖縄ですか!?」

ちなみに沖縄へはこの頃の1年くらい前に大会を兼ねた社員旅行で行っており、外国のような今まで味わったことのない街の雰囲気に圧倒された思い出があります。またそのときの会場は読谷村のトリイステーション(米軍基地)内のフィールドオブドリームスに出てきたような、トウモロコシ畑ではなくサトウキビ畑に囲まれた野球場でして。ボクはなぜか「スモーケン」という意味不明なリングネームで試合をし、さらに入場からブーイングを浴びたという最高の思い出があります…。

「沖縄」と聞いてちょっと興奮しましたが、このドキドキしたのは沖縄の風土にというよりも、なかなか本土に帰ってこれないこの距離感やった気がします。「なにか新しいことを始めるには、最高の環境や。」と思い「ぜひ紹介して下さい!」と言いました。「わかった。たしか、チャイルドフット(本当はド)っていってね、代表が中元くん。3人くらいのライター集団だよ。よし、元レスラーが君たちの職業に興味があるって電話しとくよ。」「あ、あざーず。(子どもの足という意味か。かっこええな。)」
というわけで約10日間の沖縄研修が決まったのです。(ちなみにこの頃ボクはリングスタッフをしていて、よくみちのくプロレスのリングトラックを引っ張り東北中をサーキットしてました。もちろんパソコンなんざ、さわったことなどありゃしない!)つづく。

  


Posted by アーバン at 21:09Comments(4)

2005年05月28日

沖縄へはどうして?①

 最近よく「なんで沖縄に行ったんですか?」と聞かれるんです。でも毎度答えは一つ「たまたま働く場所が沖縄だったんですよ」。
プロフィールにあるようにボクはかつてプロレスラーをしとりました。でももともと頭部への衝撃に弱い体質みたいでして、そこに試合の疲労がピークに達し、とある試合後立てなくなってしまったんですね〜。その後病院から退院したボクは将来について初めて考えるようになりました。そのときによく話をさせていただいていたのが、昨日のブログにでている先輩の日高さん。とても記憶のいい方で、付き合いのあるレスラーの誕生日、過去の試合日程、エピソードなど本当に細かく覚えておられます。「プロレス界の林家ぺー」の異名を持っていたとかいないとか。(すみません。)
それから就職というものを考えるようになりました。同級生から比べると3年遅れの就職活動が始まったわけです。この外見をいかして悪役俳優もいい、ギャップのある保育士でもいい、ちゃんこ屋もインパクトあるで!などなど調子のいいことばかり。
考えた末「やっぱりワシャ地図が好きや」という結論に達し、旅行にただで行けるのでは?という安易な理由で旅のライターがええぞ! と思うようになりました。
そんなある日、団体のカメラマン遠藤氏から「おい、ケン〜。」と声をかけられました。
つづく


日高さん、藤田さん「相方」Tシャツありがとうございます。皆さんとても気になるみたいです。

わたしの仕事場へは→http://www.c-hood.jp/book-issue.html  


Posted by アーバン at 19:36Comments(3)

2005年05月27日

屋台『まさとよ』ごっちゃんです。

 プロレス時代の先輩、日高さんが主戦場とされているZERO・1MAXの大会が博多スターレーンにてありました。この団体にはかつてお世話になった選手・スタッフの方も多く、なんだかテンションが高くなりますね〜。そして大会終了後、北九州の阿蘇山さんと日高さんに食事をごちそうになりまして、もちろん博多でプロレス後の食事といえばココでしょう。国体道路の済生会前の交差点にある屋台『まさとよ』さん。べろんちょ焼きとラーメンは必須っす。昨日は初めて焼き飯までいただきました。阿蘇山さんもペロっと食されてました。炭水化物はうまし!
日高さんケガには十分お気をつけて、頑張って下さい!

日高郁人公式サイト→ http://www.hidacatch.com/
日高郁人の飛んで打って書くブログ→ http://blog.livedoor.jp/hidacatch/
チャイルドフッドのガイドブック→ http://www.c-hood.jp/book-issue.html

  


Posted by アーバン at 12:24Comments(2)

2005年05月24日

沖縄→福岡、肥満ロード。

 かつてバリバリ運動をしていた頃ですら、先輩方に絞まらない腹を指摘されてました。そんな体質に加えて沖縄→福岡と生活が変わり、ますますアルコールを飲む数が増えましたね。カロリーをよく消費していた時代は、晩酌なんぞしたことなかったそに!  昨日の宣言もどこ吹く風。今晩もドラフトワンがうまし!
  


Posted by アーバン at 21:17Comments(11)

2005年05月23日

鍛え直さんとね。

 日曜日にラグビーを2ヶ月ぶりくらいにやって来ました。全く何も運動してなかったので、一瞬で息があがり情けなかったです。しかも7人制やけん、7分ハーフやというのに…。かつてはスキルはなくても、スタミナとしつこさと体の硬さだけには自信があったのですが、ひどいもんす。酒のとりすぎで柔らかい肉質になってます。鍛え直すぞっ(今年で7回目くらい)。

名島クラブは部員を募集しています。  


Posted by アーバン at 21:06Comments(0)

2005年05月20日

長いこと行ってません。

 そういえば長いこと散髪屋に行ってません。といってものび放題なわけではなく、自力でやってしまうということです。レスラー時代は道場にあるバリカンでモヒカンを整え、沖縄に行ってからも自力バリカンで彫刻を彫るように整えてました。そして福岡に来ても相変らず、やっちょります。今回のテーマはホークスの城島系(昔でいうなら近鉄の選手:鈴木啓示、小川亨)。う〜ん、ミステイクです。昭和です。



でも同じ歳なのでファンです。  


Posted by アーバン at 20:32Comments(5)

2005年05月19日

福岡で、しばし沖縄を懐かしむ。

 おいらの帰宅路に、とあるプチ沖縄を教えてもらい行ってきました。薬院駅近くの市場のようなところの「武(タケル)」っちゅうお店です。マニアにはたまらん雰囲気っす。カウンターのみで10人は入れるんかね? 懐かしの沖縄料理に、当然オリオン生もあったっす。そんで、店内と料理の写真撮れば良かったんやけどね〜、久々に泡盛を飲んでもうてね〜。軽い自爆をしてもうてね〜。今度はわれを忘れず撮ってきます。

  


Posted by アーバン at 21:13Comments(0)

2005年05月18日

沖縄と比べて福岡の観光地は。

 福岡って突出した観光地がないんすよ。添乗員をしとる先輩が「福岡は九州ツアーで寄るけど泊まりはないし、最終日に買い物するくらい」と言っとったくらい、確かに目玉がない。そんななか唯一ええなぁ〜と思ったのが「柳川」っす。市内を網羅するお堀をどんこ船で川下り、うなぎのせいろ蒸しもうまいで〜。そういえば!? 去年うちの代表が福岡に来たとき休みの日にうなぎと川下りをしに柳川へ行ったっけ。やっぱり地理魂をくすぐられたけど、…う〜ん、おっさん2人での川下り、よく考えてみると結構さぶいな。

   

たまらんの〜。  


Posted by アーバン at 20:50Comments(0)

2005年05月18日

沖縄の情報ブログも始めました。

 本日より『沖縄生まれ、チャイルドフッドの100シリーズブログ』を始めました。わたくしめのウダウダ続くよもやま話なんかじゃなく、充実した思い出を作りたい観光客、デートに悩む彼、掲載リストになやむ出版社、食事会の幹事さんなど、本気で情報を欲している人ために発信していきますので、ぜひご覧下さい!

沖縄生まれ、チャイルドフッドの100シリーズブログ→http://blog.livedoor.jp/c_hood/

  


Posted by アーバン at 14:01Comments(0)

2005年05月15日

これが べつばら フライヤーだ!

 別に悪ふざけしとる訳じゃないんすよ。名刺サイズといかしたキャッチコピー、貰った人はインパクトあるじゃろ〜で。


ジュンク堂の店内で配布しました。  


Posted by アーバン at 18:20Comments(0)